クリスマスの精神
今年クリスマスにアメリカに戻って最初に気づいたのは、クリスマスの祝い方が日本とどれほど違うかということでした。
ノードストロームのコーヒースタンドでカプチーノを買おうと列に並んでいた時、街の広場からクリスマスキャロルが聞こえてきました。オーケストラと合唱団が楽しそうに歌っていました。デパートのスピーカーから流れる録音されたクリスマス音楽と同じ曲でしたが、ライブの音楽となると全く違います。録音された音楽は洗練されているかもしれませんが、ライブで聞く音楽には別格の魅力があります。これは私の幼少期を思い出させる懐かしい光景でした。「ああ、私は帰ってきたんだ」と感じました。
キャロルを歌う人たちは心から歌っているように見えました。私と同じように、聖母マリアとその夫ヨセフからイエス様が馬小屋で生まれた話を学びながら育ったのです。クリスマスはキリスト教の誕生を祝う宗教的な祝日です。日本人もその物語を知っているかもしれませんが、心の中でその意味を感じているわけではないと思います。そして、表参道やミッドタウン、その他どこで見ても日本のイルミネーションは美しいものの、本当の意味でのクリスマスの精神は感じられません。
アメリカでクリスマスを過ごすのは25年振りかそれ以上です。毎年、日本の慣習に従って年末はスタッフと一緒に大掃除をして、新しい年を清らかな気持ちで迎えるための準備をしていました。そのため、家族や友人たちと一緒にアメリカでクリスマスを過ごす機会を逃していました。母が生きている間にもっと帰国し、愛と感謝を伝える努力をしなかったことを、今では後悔しています。
今年は私の義妹の息子さんの家で弟夫婦がクリスマスを過ごす予定だったので、その前に私の家で集いました。クリスマスツリーを飾り、ライトやキャンドルを用意し、ポインセチアも買いました。温めるだけで料理が準備できるように、お気に入りのスーパー「ズーパンズ」でプライムリブのディナーメニューを注文し、近所のベーカリーでピーカンパイを買い、彼らが持参するシャンパンに合わせてオセトラキャビアも用意しました。美しいクリスマスディナーを一緒に楽しむことができました。弟も本当に喜んでくれて、私もとても嬉しかったです。
そしてクリスマスは、親友のアンに「クリスマスにはそっちに行くわ」と伝えてありました。アンと初めて会ったのは約25年前で、当時彼女の娘ケイティは6歳くらいでした。今ではケイティも3歳と1歳半の2人の男の子の母親となり、アンのお母さんのジョディは98歳です。アンは私にとって姉のような存在で、彼女の家族にも親しみを感じています。アメリカでクリスマスを祝うにはこれ以上ない場所だと思いました。
アンの住むアルバカーキはポートランドから飛行機で3時間の距離です。クリスマスイブには、キャンドルを紙袋に入れて街や家々を飾る「イルミナリア」という伝統的な風習があります。それは本当に美しい光景でした。
近所のイルミナリアを見て回った後、セント・マイケルズ教会で行われる真夜中のミサに行き、そこで伝統的なキャロルを歌いました。その音楽を聴いていると、懐かしい気持ちが込み上げてきて涙をこらえるのが大変でした。そしてクリスマスの朝には、子どもたちがプレゼントを開ける様子を見ることができました。私が日本から持って行った貯金箱は大好評でした。ピカチュウの貯金箱と犬の貯金箱に子供たちは大笑い。たくさんのコインを入れたくなったようです。ケイティも、私が贈ったジェーン・アイルデールのアイシャドウセットをとても気に入ってくれました。アンもザラのワンピースとセーターをとても喜んでくれました。
最近では、贈られるよりも贈ることの方が楽しいと感じます。これもクリスマスの精神なのでしょう。25年振りに真のクリスマスの精神を感じることができ、とても特別で、大きな意味のある時間となりました。これから日本に戻り、「日本のお正月の精神」を楽しむのが待ち遠しいです。
こうしてアメリカと日本、両方の素晴らしい文化を享受できる私は本当に幸せだと思います。